MLB Network の Harold Reynolds が「大谷翔平の投球が MVP 資格を損なっている」と論じた水曜夜の放送に、The Sporting News の Billy Heyen が真っ向から反論しました。記事は 《Everyone is missing the point on Shohei Ohtani pitcher vs. hitter argument》 で読めます。論点は「フル稼働かどうか」ではなく、もっと別のところにあるんですよね。
Reynolds の違和感はどこから来ているのか
長くメジャーの内野手としてプレーした Reynolds は、今年の大谷さんがドジャースで「投球側に体重を寄せている」ように見えるのが、どうも気に入らないらしいのです。水曜の先発登板日、大谷さんは打席に立たず、木曜は休養、金曜に DH で復帰する見込み――この運用が、Reynolds には MVP の価値を削っていると映ったようでした。
たしかに、162試合フルで打席に立ち、その合間に登板もする大谷翔平が見られるなら、それに越したことはありません。ファンとして、その気持ちはよくわかります。
でも Heyen は、その前提自体を疑います。
"But what about the world where Ohtani starts 30 games on the mound, then hits in 130? That's 130 more games as a superstar hitter than any other starting pitcher in the majors is providing."
「大谷さんが30試合マウンドに上がり、さらに130試合で打席に立つ世界はどうだ。それは他のどの先発投手も提供していない、スーパースター打者としての130試合分の上積みだ」
ここで議論の足場が、すっと張り替わるんです。
「162のうち何試合休むか」ではなく「ゼロに何試合を足すか」
Reynolds の問いの立て方は、「162試合フル」を起点に、そこから何試合引かれるかを数える発想です。32試合休めば、その分 MVP 価値が下がる――そういう減点法。
Heyen の提案はその逆で、起点をゼロに置く。
メジャーのどの先発投手も、自分の登板日以外は基本的にベンチにいます。30登板して、残り130試合は試合の流れに直接介在しない。それが先発投手という職種の「上限」です。
そこに、Heyen はこう書きます。
"Before Ohtani existed, if you had told a team that their ace would also hit 27 homers for them that season on days he wasn't pitching, wouldn't you take that?"
「大谷さんが存在する前なら、自軍のエースが登板日以外に27本塁打を打つと言われたら、どのチームも飛びついたはずだ」
エースが、登板しない日に 27本塁打を上積みする。これを断る GM がいるでしょうか。いないんですよね。Reynolds の議論は、ここで前提から崩れます。「投手としての大谷さん」を出発点に置くなら、130試合の打席はすべて加点で、減点はゼロなんです。
0.82 という数字が、議論の地面を動かしている
そしてもうひとつ、議論の前提を静かに動かしている数字があります。
指標 | 2026 現在 | 文脈 |
|---|---|---|
ERA | 0.82 | MLB 屈指の水準 |
投球回 | 44 | 30登板ペースに乗っている |
HR | 7 | 打席数 185 から積み上げ中 |
打率 / OPS | .240 / .796 | 打者単独で見れば「並」 |
打者だけ切り取れば、今年の大谷さんは確かにフル稼働年の水準ではありません。OPS .796 は、彼の基準では物足りない数字です。だから Reynolds の違和感にも、まったく根拠がないわけではない。
ただ、ERA 0.82 を「30登板分」積み上げ続けたとき、それはもう「打者の評価軸」だけで語れる選手ではなくなります。打者として平均より少し上、投手として MLB 最高水準――この二段重ねを、ひとつの MVP 票でどう測るのか。Reynolds が苛立っているのは、たぶん測る物差しのほうが追いついていないことなんだと思います。
Babe Ruth との比較が、もう効かない理由
二刀流の話になると必ず Babe Ruth が引き合いに出されます。でも Heyen は、この比較もきっぱり切ります。
Ruth は投手として、そして打者として活躍した選手ではあるけれど、二役を同時並行ではこなしていない。投手として先発した日に自ら打席に立っていたという事実はあっても、「投手キャリアと打者キャリアが同じシーズンに重なっていた」期間は、現代的な意味での二刀流とは違うんですよね。
つまり、大谷さんは Ruth の「再来」ではなく、Ruth がやらなかった形をやっている。だから Ruth との比較で評価軸を組み立てても、答えは出てこない。Heyen の論の鋭さは、ここで「比較の不在」をきちんと言い切るところにあります。
評価軸を作り直すしかないんです。「162試合フル稼働」を満点にした物差しでは、30登板+130試合の打席という新しい配分を正しく測れない。だとすれば、Reynolds の問いそのものを置き換えるしかない。「フルから何が引かれたか」ではなく、「ゼロに何が足されたか」へ。
Heyen は記事の最後を、こんなふうに閉じます。
"When you're stepping back from the center of the baseball universe, you can still land on a very bright star."
「野球宇宙の中心から一歩引いたとしても、降り立つ先はまだ十分に明るい星のひとつだ」 — Billy Heyen / The Sporting News
毎日打席に立たないことは、ある意味で「中心からの後退」かもしれない。でも後退した先に立っているのは、依然として、ほかの誰の手も届かない明るさの星なんですよね。