5月20日、首位争いがかかったパドレス戦。大谷翔平は試合の初球を場外に運び、そのままマウンドで5回を無失点に抑えた。Sports Illustrated の Kyle Koster は、この一夜を 《Shohei Ohtani Just Set Another Record That Wasn't Supposed To Be Broken》 で「本来なら破られるはずのなかった記録」と書いた。塗り替えられたのは、ボブ・ギブソンが持っていた数字である。
「打って、抑える」を7度
水曜日の夜、大谷さんは2つのことを同時にやってのけました。
ひとつは、5回を無失点に抑えたこと。これでシーズン防御率は 0.73 まで下がりました。1920年以降、8登板を終えた時点での防御率としては 史上6位 の数字です。
もうひとつは、試合の初球をスタンドへ運んだこと。今季8号、先頭打者ホームラン。MLB史上、先発投手が先頭打者本塁打を放ったのは これでまだ2度目 で、前回は2025年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ第4戦——これも、大谷翔平でした。
そして、見過ごされがちですが、この日の本当の意味はもう一段奥にあります。「同じ試合で本塁打を打ち、かつ無失点で投げ切った」回数が、ポストシーズンを含めて通算7度になった ことです。
それまでの記録保持者は、ボブ・ギブソン。打てる投手の代名詞だった、殿堂入りのレジェンドです。
なぜ、この記録は「破られないはず」だったのか
ギブソンが1960〜70年代に積み上げた「打って抑える」の数字は、長く野球史の片隅に静かに置かれていました。理由は単純で、それを更新しに行ける選手が、構造的に存在しなかった からです。
1973年、アメリカンリーグに指名打者制が導入されて以降、投手が打席に立つ機会そのものが削られていきました。そして2022年、ナショナルリーグもDH制を採用し、投手の打席は事実上、リーグ全体から消えました。
ところが、その制度変更と同じ年に、MLBは「オオタニ・ルール」を導入しています。先発投手が降板後も指名打者として打線に残れる、という例外規定です。Koster はこのねじれをこう書いています。
"There are two ways in sports to have a rule named after you. One way is to do something so far outside the norms that they have to address it so it doesn't happen again. The other is to be so exceptional that they alter the regulations so they can get more of what you do in the game."
「スポーツでルールに自分の名前が付くには2通りある。規格外すぎて二度と起きないよう規制される側か、例外的すぎて『もっと見せろ』と制度の方が書き換えられる側か」
大谷さんは、後者でした。リーグが「投手の打席」を消した年に、リーグは同時に「投手・大谷の打席」を残す扉を作った。ギブソンの記録に手が届く選手は、制度的にこの一人だけになった わけです。
「投手・大谷」の最高到達点
今年のドジャースで、もうひとつ静かに進んでいることがあります。デーブ・ロバーツ監督は、大谷さんの登板日には打席をスキップさせ、別の選手をその打順に置く運用を続けています。本人はベンチで待つ。打席数は減る。けれど、そのぶん投手・大谷の数字は研ぎ澄まされていきます。
49イニング、防御率0.73。8登板を終えた時点で、これは1920年以降の歴史で6番目という位置にあります。Koster はこの状態を、こう表現しました。
"It's working out remarkably well as Ohtani is embarking on something that looks like not just the best pitching season of his career but of any career."
「うまく回っている。大谷さんはキャリア最高どころか、誰のキャリアを見ても最高クラスの投球シーズンに足を踏み入れつつある」
2022年、彼が9.2 fWAR を積み上げたあの年——投手としてのキャリアハイと長く呼ばれてきたシーズン——を、今年の数字は静かに上書きしようとしています。打席を減らされた代わりに、マウンドで一段深い場所に入った。トミー・ジョン手術明けの投手が辿るとは思えない曲線です。
引退の日に、誰の名前が残るか
ギブソンの「打って抑える」記録は、半世紀の沈黙のあとで、ようやく更新されました。けれどそれは、もう一人の打てる投手が現れたから、ではありません。指名打者制が常識になった世界で、たった一人だけが投手として打席に立ち続けている から、です。
水曜日の夜、初球がスタンドに消え、5回が無失点で終わった。その7度目の夜のあとで、Koster はこう書き残しています。
"We'll go out on a limb and say that whenever the Dodgers' superstar hangs up his cleats, this and countless other Herculean feats will live forever without the slightest threat from another player."
「思い切って言わせてもらう。彼がスパイクを脱ぐ日が来たとき、この記録も含めた数えきれない超人的な偉業は、他の選手から脅かされることなく、永遠に残り続けるだろう」 — Kyle Koster / Sports Illustrated
ギブソンの名前の隣に置かれた数字を消したのは、ルールに自分の名前を残した男だった。その事実だけが、この夜の意味をすべて語っている気がします。